嗚呼・・・、船場吉兆

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さて、船場吉兆の話など。

その名を初めて聞いたのは15歳の時。そう、今から16年も前の事でございます。
高校に入って間もない頃、最初にできた友人アヅマから「吉兆に修行に行きたいわ~」との言葉が印象的でした。
実際彼は料理人を目指しており、今はどうしているのか知りませんが、22歳の時に会った段階ではその職に就いていたと記憶しております。

第一印象がそれでしたので、漠然と「吉兆ってええとこの日本料理屋なんやろな~」くらいに思っておりました。

それが数年前、思わぬ形で再会を果たします。一日一度、必ずと言っていいほど船場吉兆のお店の前を通ることになったのです。
その時も看板を見て、「アヅマの言うてた吉兆や~」くらいにしか思いませんでしたし、ましてや自分が客として行く事もありませんでした。
そして突然やってきた昨秋のスキャンダル。
自分の生活ゾーンに溢れるマスコミ。(余談ですが、NOVAの本部も行きつけの美容室のまん前ということもあって、昨年はマスコミの群れと妙に縁がありました。)大阪に居てもあまり経験の無い風景に、思わずパチリと撮影したものが上記画像です。特別に許可を得たりしたわけではありませんが、私がカメラを向けても微動だにしないアナウンサーやスタッフを見て、なるほど慣れているのだろうと思ったものです。

外観がおよそ料亭と思えぬ殺風景なビル群の中の一角にあったそのお店。
近くその姿を消すとなると思うところもあります。
軽くつらつらと・・・。


今回一番の問題は「自己の客観視」でしょう。
これはいつぞやのホテルで障害者用に作らねばならないスペースをつぶしていたオッサンやミートホープにも言える事ですが、悪事が発覚しても「運が悪かった」くらいにしか思っていないフシがあり、かつ、それを隠さないところが見受けられます。
船場吉兆は元々、他の吉兆よりも一番経営の芳しくない店だったと聞いております。しかし、それをまっとうに、正面から経営改善に乗り出すのではなく、舞台裏での小ずるい違法、不実な行為で対応しようとしていたのだから辟易します。
まともな神経があれば、「だったらもっと素晴らしい料理を出そう」「より魅力的なお店にしよう」「接客を向上させよう」となるはずなのですが。
彼らにしてみれば、そういった「まっとうな経営努力」もそこそこに不実なやり口を駆使するのも経営努力の一環との思いがあるとともに、それがバレて世間に公表されても「よそでもやってるような事じゃ~ん」程度の意識なのでしょうね。ここにポイントがあります。交通違反で捕まっても強い悔悟の念を持つ者は大変に少ないのではないでしょうか。私も駐禁を切られたり、速度超過で捕まっても「運が悪い」程度にしか思わない意識があります。殺人くらいぶっ飛んだ犯罪ならともかく、「このくらいは・・・」との意識が働く人がほとんどかと。
そして、「その意識があっても出すか出さないかは別の問題」というのがあります。結論から言うと、彼らはKYとなります。内心反省していなくても、「心からお詫びしているように見せる」事ができればその場はやり過ごせたことでしょう。
しかし今回の女将の廃業会見にも見られるように「東京の姉には・・・」といった内向きの発想からしか生まれない言葉が出てきたりします。「不実な営業活動である」との認識を払拭する事ができなかったのも自明の理かもしれません。
とてもではないですが、反省しているようには見えなかった「ささやき」記者会見から半年。女将は自分の運命を変える事ができませんでした。それは自分自身を変える事ができなかった結果でもあります。
おそらくは「船場吉兆」の中では女帝として、「吉兆グループ」の中では劣勢遺伝子として、「ねじれた感情」を抱えて生きてきた結果なのでしょう。縦社会の長所に「統制がとりやすい」というものがありますが、同時に短所として「自浄作用に乏しい」点も挙げられます。現場の料理人達もきっと、「上が言うから・・・」とズルズルやってきてしまったのでは。
「卑屈な傲慢」の終末劇は傍から見ていて奇異に映り、かつ、興味深くも野次馬根性を満たしてくれるものでした。
さて、見ていた人達は一連の騒動から何を学ぶのでしょうか。

とりあえずちうべいサンは「悪事がバレたら潔く謝って全て改善しよう」(´∀`)と思ったのでした。
ま、悪い事してないけどね(´゚∀゚`)