酔っ払い魔人のうへへぁはぁ~

チョッコレート、チョッコレート♪
チョコレート~は~明~治♪
 
窓を開けたら網戸の微妙な隙間からナメクジ侵入。
しかも結構デカかった・・・。
 
涼しい家にも問題があるんだぜ。
 
酔っ払いです。
本人がそう認めてるんだからそんなに酔ってません。
 
うっぱぁ~。
 
楽しいにゃ~(*´∀`)
 
ちょっと思ったことでも。
 
ツイッタとかネットで起こった事などを、ふがふがと。
 
そういえば昨日、歯の詰め物取れちゃって・・・。
歯医者に行ったら「You、もう親知らずだし抜いちゃいなよ!てか、下の親知らず抜いてるしこの歯はガチで意味ねぇぜ?」ってことでいきなり抜いたぜ。
何が大変と言ったら運動できないことなんだぜ。
今はケースに入れてプレゼントしてくれるってのも驚きだがw
 
・・・。
 
よし、日記ぽいこと書いた。
そんな前提で。
 
ツイッタで書いた事なんだけどね、歯医者の件。
画像付きで。
こっちにアップは・・・、気が向いたら後日。
 
さて、色々と起きてます。
ちょっと前にもフィーチャーした高岡某からの一連の件が一番大きいですかね。
しかし、問題は色々と通底するキーワードが眠っているように思います。
 
時代が変わったと言います。
ネットで変わったと言います。
それも急速に変わったと言います。
 
まず、情報の共有が早くなっていってるようなんですが、ここ1~2年は特に顕著かと。
よく言われるのはツイッタに代表される双方向性のある情報ですね。
ブログなんかも革新的だったのですが、ツイッタはその比ではないと。
ブログのコメ欄なんかへの読者のリアクションってのもあったんですが、ツイッタだともっとダイレクトです。
実際に、一般の人と直接やり取りをする事も少なくないですね。
 
ロンブーの敦が素人さん相手にボロクソに言ったメッセージとかも晒される時代ですし。
そういった時代背景とともに、もう少しうがって見ましょう。
 
やはり目が行くのは「祭」に代表される諸問題ですね。
日本人はモメごとを起こすのも巻き込まれるのも嫌いですが、野次馬根性がムッツリ的に潜在しています。
ですので、誰かの失言とかで袋叩きに遭ってる人を見るのとか大好きだったりしますね。
 
それらを見ていてある種「コイツら何でおんなじようなこと繰り返してんの(´゚Д゚`)?」って感覚を抱きます。
当人にしてみれば突然日本中からボロクソに言われてただただビックリなのかもしれませんが、眺めている側や、叩かれている側にしてみれば「標的が変わっているだけ」で、「祭」が会場を変えて断続的に行われているに過ぎません。
よほど自分を客観視できないと、仮に「祭」のターゲットにされても驚きが勝つかもしれません。
 
しかし、問題は当事者の感覚よりも客観的に見たそれらの持つ意味です。
以前は「祭」と言えばどこからどう見たって犯罪な事をわざわざ自慢げに書くバカとかでした。今もそれは続いていますが、最近は思想的な発言等も大きな余波を生んだりします。
また、その思想的な発言も時代の要請か「左翼教育全盛」を過ぎ、少しずつ反動を生んでいってます。
 
高岡某しかり、山本太郎しかり、ここ最近は大きな話題にある種の変化が現れているように思います。
時代が少し早ければ「右翼キモッ」とか「左翼?近づきたくね~」ってなものですが、彼らが民族主義者や保守論壇社会主義者共産党員には見えません。
 
もちろん、何らかのバックボーンがあるのかもしれませんが、今の所クローズアップもされませんし、必然性はありません。
これは一般の人にも言える事です。
アタシのブログはともすればネトウヨブログですが、別段そういった活動に積極的な訳でも思想に影響を与えるほどの本を読み漁ったわけでもありません。
逆もしかりで「物分かりの良さそうな顔をするのがスマート(キリッ)」みたいな心情リベラルなんてのも非常に多いように思います。「特に理由はないけど、人権を大事にしてるっぽいからOK」みたいな。
もちろん、彼らもマルクスレーニン主義をちゃんと勉強してるわけではなさそうです。
 
これはひとえに「人前で政治の話をしちゃいけません!」と言った教育やしつけの「タガ」が外れかけている事、不景気による先行き不安も相まっての政治への期待の裏返しから来る「政治の話題を一般の会話に出してくる現象」のように思います。
不文律によるタブーがはじけたのではないでしょうか。
 
似たようなケースに「言葉狩り」や「不謹慎祭」があります。
95年の阪神大震災オウム事件、もう少し前は昭和天皇崩御に伴う自粛ムードなんてものがありました。
昭和が永すぎたゆえに「どうしたらいいのか分からない」感が強かった事はもちろんですが、前者の2件と今年の東日本震災には変化が見られるようになりました。
「自粛って?不謹慎って何?」という問いかけです。
騒ぎたい人間が逆ギレで反抗しているのではありません。
物事の本質への問いかけであり、同時に日本人特有の「おとなしくしおけばいい」「空気を読んどけ」的な不謹慎狩りへの違和感なのでしょう。
 
本日、ツイッタで乙武さんという五体不満足という著書で有名なスポーツライターさんのツイートと、彼の友人である女優の女の子のやり取りが非常に秀逸に映りました。
乙武さんは自らの障害を堂々と人前に晒し、時にはそれをネタに冗談を言ったりするというちうべいサンでは及びもつかない強いハートの持ち主です。
その彼に対して向けられた冗談のツイートに対して異論が噴出しました。
 
彼は言います。
「今回のツイートは個人的に楽しめるし、相手の事も分かっているし、友人。誰も傷ついてないのに関係ない健常者が首を突っ込んで来て不謹慎と騒ぐのはおかしくない?」と。
大体そんな感じのはず・・・w興味があったら調べてみてちょw
 
私から答えのようなものを言うのはちょっとはばかるというか、逃げてるわけじゃないですよ?wしつけの行き届いたアダルトチルドレンみたいに処世術ですっとぼけてるとかでもなく、ホントにうまく言えないんですw
 
今回言いたいのは全部ひっくるめて、言語メディアはかくも進化し、議論というものがお偉い学者さん達とかではないところから起きているムーヴメントが存在するということです。
時代性と言えばそこまでかもしれませんが、人はタブーという「先送り」をせずに堂々と問題の本質についてその場で論じる事ができる風土が出来上がりつつあります。
 
それは誰かが仕掛ける、といったあざといものでもないところが大切です。
 
高岡某は「日本のTV放送なら日本のコンテンツに注力したら?」と言っただけなのに、民族差別に問題をすり替えた卑怯者が沢山いる。
それに続いたふかわりょう達の指摘する「TVの公共性や参入の難しいメディアの中でないものをある、というのはおかしい」と言った指摘に、「見たくなかったら見なきゃいいじゃん」という頓珍漢な回答。
「ハゲやデブをネタにする芸人がOKで障害を笑ってもらうのってダメなの?」という乙武氏と、心のこもらない優しさをふりかざす通りすがりの人達。
戦争や歴史について不勉強ながら、自分だけの正義を無闇に撒き散らしてしまったまんべ君。
 
主義主張はそれぞれ。
思想の自由だって充分すぎるくらいに保障されている。
問題を起こす事が悪い事じゃないし、最初から落としどころを探す必要も無い。
熱くなってもいいし、感情を出したってかまわない。
でも、議論というものを次の段階に進めてもいいように思う。
 
「話し合えば分かり合えるよ!話し合いで解決できないことなんてないよ!」なんて脳内お花畑だったちうべいサンですが、少し大人になってしまいました。
 
ダメな事はダメでいいので、もうちょっと直接話してみませんか?
 
最後にもう一つ。
ツイッタにも書きましたが、有吉という芸人さんは素晴らしいですね。
ああなりたいと思っても、なかなかなれるものではない。
憧れます。
真に優しいとは彼のような人の事を言う。
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よしっ、全然まとまらない!
おやすみっ。