ぬっこぬこ 14

二郎に行きたい・・・。
ジョイスティックは品薄すぎませんでしたか?
愛のマシマシ、ちうべいです。
今思うと、あの時代にアナログスティックコントローラとか前衛すぎるな、と。

さて、ふがふがと。
おかげさまで、うちのウンコ王子と姫は元気です。
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丘アザラシの短足っぷりに嘆息ですよ。萌え~。
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段ボールの中に篭城するにゃんこと、それをつけ狙うストーカーぬこ。こわっ。
 
と、言ったあんばいで今も廊下でまったりしてる二匹を放置して日記です。
ふがりんこ。
今日は以前ちょっとぐりタンの所で示唆したペットに対する思いを書いてみます。
 
動物は子供の頃から大好きです。
買ってもらった図鑑も何度も何度もず~っと読んで、眺めて、「こんな動物を見たい、飼いたい」って妄想したりしてる子でした。
同じ頃に買ってもらった飛行機の図鑑とかは開いた記憶がほとんどありませんから、わりと趣味嗜好は変わってませんね。
のちに、絶滅した動物とかに胸キュンな若者に育ちました。
 
それだけに、絶滅しかけの動物の報道とか見ると怒りがこみあげてくるのも、抑えきれないものがありました。
稀少野生生物の棲息域が侵されているなんて聞かされた日には頭から湯気を出したものです。
自衛隊を駐屯させて密漁してる連中を闇に沈めていいのではないか、とまで。
そんなちうべいサンながらに、当時から違和感があったのは何でもかんでも動物優先な人達です。
 
昨年暮れだったでしょうか。
クマが食糧不足だか何だかで人里に下りて来るので、やむなく射殺するという話がありましたが、それに対してヒステリックに反応しちゃう人が現れたりしました。
役所に迷惑をかけてやろう、と悪意丸出しな日記も挙げたりしておりましたので確信犯なのでしょう。
しかもどこから持ってきたのか分からないドングリを持ってきてヘリで空中散布で餌付けを気取っていました。
植物に生態系って関係無いと思ってるんでしょうか。
 
こういう活動を見るとやはり強く疑問なのです。
クマが絶滅しかけているなら分かりますが、寡聞にしてそのような話は聞きません。
クマと人間はそれほど近い距離で暮らせる生き物でもありませんし、保護も必要としていないのなら人間の生息域に現れたクマを射殺しちゃうのもある程度仕方ないな、と。
 
最も顕著な例がイルカクジラ問題かと。
これもオージーだのアメリカンだのから仕入れるビーフの問題と併せて考えると話が早かったりするんですけどね。
とにもかくにも「動物様!」ってなってしまうと、「行き過ぎちゃう(´゚Д゚`)?」となるのですよ。
 
同様なことはペットにも言えるかと。
よく皮肉で「動物に服を着せて云々・・・」とか「犬を抱えて散歩とか本末転・・・」とか聞きますけど、ここでも非常にヒステリックな人達って居ます。
もう擬人だのを通り越して人間と完全に同一視してたりとか、それってどうなのかと。
強硬に「家族だ!」って強調なさる論調もありますが、そもそも家族を家に監禁したり、あまつさえ去勢までするんか?と。
 
こういった違和感にある日、スカッと光の射すような発言を耳にしました。
随分前でしたが、TVで愛犬家のタレントとして所ジョージが犬と共に出演していた時のこと。
所「よく犬の事を家族だ家族だ、って言ってる人いるけどさ、全然家族じゃないじゃん。勝手に連れてきて勝手につないでるだけじゃん」
頭の上のモヤモヤが晴れたような思いがしました。
 
猫や犬は人間ととても近い距離で生きて来ました。
特に、番犬としての仕事やネズミ捕りといった仕事もしてもらってた頃もつい最近までありました。
しかし昨今、番犬を飼う金があればセコムにでも入った方がマシですし、ネズミ駆除も他にいくらでも方法があります。
愛玩動物としての側面が強くなっているのは否めないでしょうか。
 
窓の外をずっと眺めているムンに、リンに、何もしてやることが出来ません。
嫁の元同僚曰く「職業・かわいい」としての残りの生活を少しでも楽しんでもらうしかできないのです。
家族のように思って同居するのは勝手です。
しかし、必ずしも猫や犬は人間と一緒ではありません。
どこかでの線引きを忘れてはならないのではないでしょうか。
 
彼らは私達夫婦の慰み者としてその食い扶持をあてがわれています。
信頼関係がどの程度なのか、知る由もありません。
それでも、MAXかわいい二匹を、共に生活する中で少しでも不自由なく生きていけるようにするのが義務です。
願わくば、先の震災のように、我々二人でフォローしきれない程の災禍が二匹を襲いませんように。
書斎の一角の猫ベッドで、カッティングシートの上で横になる二匹を見ながら思ったのでした。