いきしにを考えたり

イメージ 1
レースゲームではブレーキなどかけない。
使い切れない調味料とか悩ましくないですか?
愛のタバスコ、ちうべいです。
 
レースゲームしない、ってか持ってないけどね。
 
 
さて、ふがふがと。
 
おかげさまで妻と仲良くふがふがしております。
付き合ってから2年半、入籍から1年半、挙式から8ヶ月ですか。
また来月にも書きますが、引越とかあってやる事も沢山あってスゴいスピードで流れ行く時間を感じております。
みんなと初めて会った時はまだ20代だったことを思うと、時の移ろいを(ry
 
しやわせでいることに慣れてませんので、ついつい「失ったらどうしよう?」とビビってしまい、守りに入りがちになります。
保守ってこういうのを言うのかな?
貧乏性ですね。
 
一番大切なのは間違いなく妻ですので、最も失いたくないのですが他にもいろいろあります。
他の仲間や仕事、車、見ているだけでニンマリなものの数々・・・。
果報者になってしまいました。
みなさんと出会うまでの日々を思えば「これくらいはいいんじゃね?」という想いとともに「私ごときにもったいない」って想いも抜きがたくあります。
 
3月末には猫も来てもらうつもりですし。
守りに入る、ってことはアタシの肩にかかる責任の重さでもありますね。
身の引き締まる想いです。
そうなると、保守だのなんだのを超えて「死ぬのが怖い」とかまでいっちゃいます。
 
わりと、若い頃から死ぬのとか平気で「今すぐ死んでもいいかな~」とよく思ってました。
でも今は怖くてしょうがない。
いま大切にしてるものも、いつかは死んだり壊れたり、もしくは私が死ぬことでその価値を失ったり。
価値を失うってのはアレですよ。
アタシが大事にしてても遺品を遺族が同じようにするとは限りませんし、アタシもそこまで望みませんので。
 
そう思うと、何ともまた虚無感もあるのです。
全ては有限。
いつか終わるのですね。
 
土曜日は母の7回忌だったこともあり、日々近づく死を思いました。
母が死んでも「死んだあとの世界がこんな風に続くなら安心だな」って思えると同時に、自分が死ぬ時の事も考えておかなきゃな、って改めて考えさせられました。
うまく言えませんが、死ぬ事をどうするのか?ってのはどう生きるのか?って事と限りなくイコールだと思うのです。
 
ここのブログで出会った人でも、すでにどこで何やってんのか分からない人もいます。
中には死んじゃった人もいるかもしれません。
きっと、たくさんのステキな事と残念な事はその量で非常に拮抗するのではないでしょうか。
歳を取ってからどうなるか分からないし、歳を取れるかどうかも分かりませんが、ここでの良い縁がより長くなりますように。
 
だって、なんか素敵な事だと思いませんか?
すっげー年寄りになってから、アラキ君の子供が訪ねて来たり、ぐりタンと噛み合わないボケた会話をしたり、オシメをつけた老人同士なアタシとボスでニヤニヤしたりwww
きっとそうなったらそうなったでそういう世界なのでしょう。
 
うまく言えませんが、ケジメは取れる人生であるつもりですので、今後ともごひいきに(´∀`)
 
そんな訳で家を買いました。
イメージ 2