妻の祖母が亡くなって 2

昨週金曜日のこと。
年に一度あるかないかの、「ちうべい携帯電話をおうちに忘れる」の日でありました。
妻からヤフーメールに連絡が。
どうやら午前中に天寿をまっとうされたとのこと。
知ったのが午後ということもあって、その日は仕事を早退せずに帰宅し、情けない話ですが宵の口になってから初めて電話で義父義母に弔意を伝えました。
すぐにでも飛んでいってお手伝いしたかったのですが、「今はする事がない。それなら明日の朝にしてほしい」とのご案内をいただいたので夫婦ともどもこの夜はおとなしく寝ることに。
 
次の日、土曜日は前日から続く雨の中、午前中には妻の実家に車で向かいました。
まずは通夜を行い、日曜日に告別式。
一週間ぶりに再会を果たした妻は仏さんのお顔を見て泣き崩れました。
金曜夜はそれほどでもなかったのですが。
義母も共に泣き、傍らでどうすることもなく私は立ち尽くしました。
 
ほどなくして葬儀屋がやってきて、会場へと仏さんを移動させることとなりました。
男手が足りないこともあって、手伝わせていただきました。
仏さんにあのように触れる、というのは経験したものでないと分からない感覚がありますね。
手の中にある死が表現のしようもありません。
 
後を追い、会場に着くとそこは何とも立派な建物でした。
まだできて間もないというのもありますが、キレイでくつろげる空間になっています。
今回は家族葬ということもあり、比較的小さい会場でした。
ここで、先に着いていた仏さんと再会。
通夜の段取りを聞きながら、その時間を待つ。
ああいう時ってどういう会話をすればいいんでしょうね。
使えないでくの棒です。
 
時間も差し迫ったので納棺。
納棺士に頼まずに、家族で納棺することにしました。
ここでもお手伝いさせていただきましたが、またも言葉にできない想いが込み上げます。
ああ、彼の人は棺に納まりにけり
 
続々と集まる妻の親族。
私も末席ながら、「孫一同」の一員としてお花を出させていただきました。
姪っ子がいつものアイドルパワー全開だったのが救いかもしれません。
まさにお通夜に曾孫。
通夜に来て下さったお坊さんもファンになってました。
 
交通事情もあってか、喪主が遅刻したまま始まった通夜。
習わぬ経をたどたどしくも読み、ただただ冥福を祈るのみです。
見る人々に好評をいただく遺影、山と詰まれた花、荘重な祭壇。
かような式典を行うのは故人のためであり、引いては残された遺族のためのもの。
「人が人を愛し、大切にする」事は人をつよくするものですね。
 
お坊さんからのありがたいお話もいただいた通夜はまさにしめやかに終えました。
 
このあとは互いの紹介等を終え、夕食。
買いすぎたお寿司を頑張って食べきる。
お年寄りが多い通夜等のあとの食事は人数分の6~7割で充分だと痛感。
 
皆の分と、それ以上に天が泣いた一日が過ぎ、告別式を迎えます