妻の祖母が亡くなって 1

はい、という訳でその話題を中心に。
 
実は以前から「思わしくない」との話をいただいておりました。
一年ほど前でしょうか。「あと半年ほどではないか」と医者にほのめかされている、と。
実際、二人の結婚式の日取りも一度は決まっていたのですが、義父母には気にせず予定通り挙式するよう言われていたのもあって、皆さんもご存知のとおり華燭の典となりました。
ちなみに、その式に来ていたのは妻の父方祖母。今回他界したのは母方の祖母でした。
 
その母方の祖母は今年の8月で89歳。
昨年は米寿のお祝いをしたばかりです。
妻とは付き合いだした当初から、随分と妻のご家族に良くしてもらいました。
そんなお祝いの場にも呼んでいただけるのを始め、お墓参りや姪の誕生日にも。
今回は訃報、残念なお話ではありましたが、呼んでいただけるのはありがたい事です。
 
華燭の典を終えて間もない夏の候、ついに祖母は入院いたしました。
今にして思えば、やっぱり病院っていうのは何とも暗い雰囲気になってしまいますね。
医療関係者の方が読んでいたら気分を害されるかもしれませんが、どうにも晴れません。
末期がんである事を宣告され、根治の見込みのない終末医療を施す装置ではないその病院を、追われるように転院した先が京都にある某ホスピスでした。
 
高齢の親族が居ない方はピンと来ないかもしれません。
簡単に言うと、もう治らない病気にかかり、余命いくばくもない方に少しでも苦痛の少ない最期を迎えてもらうべく作られたのがホスピスです。
緩和ケアという言葉もご存知ないかもしれませんが、人が最期に安らげる空間、時間を作る事に特化された施設なのです。
大変な人気で、通常は予約待ちのところを、運良く8月上旬に転院できたのです。
残念ながら高額な入院費は健康保険等ではまかなえず、ある程度の経済力が無ければ入院できないというのが世知辛さを感じさせます。
 
しかしながら、さすがと言うべきかその充実した設備や運営体制は驚くほどです。
私が初めてお見舞いに行かせていただいた時にも、ボランティアの方がオペラを聴かせてくださる時間でした。
想像できません。
立派なキレイな建物にはとても広いサロンがあり、どの窓から見える景色も配慮のなされた緑萌えるのです。
そんな環境で週に五回にわたって入院患者の皆さんを慰問するイベントが催される。ちょっと想像以上で、とても新鮮な想いをしました。
 
医者に新たに言われたのは「あと1ヶ月くらいだろう。ご飯がノドを通らなくなったら終わり」とのこと。
一年前から覚悟はしていたとは言え、妻は大変ショックだったようでした。
いつ亡くなってもおかしくない状況なので、このあたりから私は極力お酒を呑まない日々が続きました。
深夜に容態が悪化した時も、来るまで駆けつけるためですね。
その一環と言ってはなんですが、9月の上京も1日だけとさせていただきました。
式には妻も呼んでいただいていたのに、1ヶ月前に急な変更を申し出てしまい、ジョビさんには随分とご迷惑をおかけしました・・・。
 
妻はまさに毎週、見舞に行きました。
私も可能な限り同行し、何ができるともしれない図体だけのオッサンながらお見舞させていただいておりました。
ホスピス転院当初は一旦容態が回復し、血色も随分良くなりました。
さすがと言うべきか、もうベッドから降りる事もできなくなった祖母でしたが、手厚い看護と行き届いた施設環境もあって、好転したものと思われます。
そこから少しずつ、まさに少しずつですが、祖母は目に見えて弱っていきました。
しょっちゅう顔を見てたら分からないかもしれませんが、1週、2週に一度しか顔を出せない私にはハッキリと分かりました。
それを妻や親族に告げるのも酷と思い、何もできない自分の無力さを痛感するだけでした。
 
医者に当初言われた1ヶ月も過ぎ、いよいよ2ヶ月が過ぎようとした時、ついにその日は訪れました。
 
つづく