華燭の典 しめ

やっとしめる。
 
さすがに箇条書きではなく、長文になりますがふがふがと。
 
 
まずはこのたびの式に際し、沢山の方々にご来場いただき、誠にありがとうございます。
また、諸般の事情等でご来場かないませんでした皆様からも、多数のお祝いをちょうだいしております。併せて誠にありがとうございます。
かくも多くの方々に祝っていただけるとは恐悦至極。嬉しいとともに身の引き締まる思いなのです。
 
今回の挙式に関して、当日も述べた事を少し反芻しながら改めてご挨拶さしあげたいと存じます。
挨拶は二度ございました。
前夜祭と披露宴ですね。
結構グダグダになってしまって、早口ゆえに聞き取れなかったかもしれません。すみません。
改めてそちらを簡単にフォローし、一つ言い忘れていたことをもって今回の式のフィナーレとさせていただきます。
 
似合いもしない結婚式、披露宴などとよくも行なったものです。
その不景気な面構えもそうですが、人間的にも向いてませんよねw
そもそも形式めいた事とか全然関心がないし、固っ苦しいのとか大嫌いなんですよ。
ここを出入りしてる方ならご存知かもしれませんが、「何でもアリ」の人間なんで。
だから「結婚なんざ所詮紙切れ1枚」とか言っちゃう人の気持ちも分からないでもないし、「結婚がゴールとか言ってるやつはバカ」みたいな意見も分からなくはないのです。
それでも今回挙式に至ったのは、3点理由があると挨拶させていただきました。
あえてその詳細は書きませんが、その中の一つ「妻のため」という部分をもう少し書きます。
 
妻が「ブーケトスなんかしない。結婚しない人生を選ぶ女性が増える昨今においては価値観の押し付けであり、配慮に欠ける」とか気持ち悪いことを言っている、とここの日記でも一度書きました。
私と付き合う前は友人達にも「私は結婚なんかしない」と公言してはばからなかったそうですから、その思想たるやなかなかに手ごわいものがあります(同時に、今回の挙式で友人達から「イチ抜けた」と抜け駆けしたのはひんしゅくモノかもしれませんがw)。
しかし、多少の紆余曲折はあったものの、付き合って1年と少しで入籍、それから1年を待たずに華燭の典となりました。
これは私からの強い希望でしたが、その理由は「妻が歳を取った時に、自らの人生を振り返っても強くいてくれる」と思ったからです。
別に地味婚よろしく入籍だけでもいいですし、実際に「挙式は親族だけで、披露宴は行なわずに二次会だけで済ませる」人も増えたのではないでしょうか。
それを否定する気はありません。まさに人それぞれです。
私自身、いろんなことが「どうでもいい」人間ですから。
ただ、妻との人生ということで考えるとそういったアナーキズムとでも申しましょうか、世間の「決め事」や「お約束」をないがしろにする価値観っていかがなものかと思うようになったのです。
人間も飯が食えるようになってくるとあらゆるルールがゆるくなるとでも申しましょうか。「多用な価値観」の名の下にあらゆる「決め事」や「お約束」がその存在感を薄くしていっていると感じるのは私だけではないのかもしれません。
「伝統」なんて知った事がない私ですが(ここらへんが保守にすら見えないややこしいところ)、妻と結婚したいと思ったからにはあらゆる「決め事」や「お約束」からは逃れられないのが事実です。
結婚制度自体を否定する人もいますし、夫婦別姓を声高に叫ぶ人もいますが文化文明、言語を超えて世界に存在したりするこの制度は本来「便利な発明」なはずです。
遺産相続や司法制度も含め、「内縁の妻」などこの世にあって無きが如し。
野村監督もパ・リーグでの現役時代の自らの不遇を「伝えられないもの、報道されないものは無いものと同じ」と言いました。
夫婦も同じようなものだと思うのです。
社会と接点を持って生きていく以上、「我々は夫婦です」と社会に申告して初めて夫婦ではないでしょうか。
「愛があればいい」では誰にも認められず、社会と接点を持たなくてもいい、とのすさんだ極論に感じます。
 
今回、結婚式・披露宴を開きましたが、これは形式に乗ってみようと。形を成すのであればひととおりの「お約束」に乗っかってみた方がいいだろう、との判断から開いたのです。
まだ妻は「恥ずかしかった、みんなが来てくれて楽しかった」くらいの感慨しかないかもしれません。
しかし、歳を取ってアルバムを手にして自らの人生を振り返った時に「ちゃんと挙式しといて良かった。やり残してなくて良かった」と思ってもらえればそれでいいのです。
今はまだ「女だからって○×○×」とかムツかしいものの考え方が勝つ時もありますが、将来彼女をきっと強くしてくれるはずです。
 
 
もう一つ、皆様へのお礼をしたかった件ですが、こちらは言い出せばキリがないのでw
もっと簡単にw
皆さんにはホントにお世話になったのですが、特に欠かせないのが先だっての記事にもある小学校の担任の先生です。
私の両親は離婚しており、父と二人で暮らしていた時期もあります。
のちに母の下へと帰り、母子家庭生活となりましたが、約2年ほど、父の下にいたのです。
その頃の担任だった訳ですが、彼女の陰日向の御厚意がなければ私は母の下に帰れなかったかもしれないのです。
父との生活の詳細は書くに値しませんが、およそ窮状と呼べるその生活から、呪われた運命から救って下さったご恩は一生かけても返せないかもしれません。
そういった事も含め、皆さんへのお礼の場が欲しかったのです。
 
最後に
 
 
結婚を墓場だのゴールだのと言ったのはどこのアンポンタンだか。
私はやっと人生が始まったような感慨すら覚えます。
 
妻よ、両親よ、妻のお義父さんお義母さん、互いの家族と友人と、ご助力いただいたたくさんの方達
ありがとうございます
そして、これからもどうぞよろしくお願い致します
 
 
・・・、そうだ。
言おうと思って言ってなかった事だ。
それはアタシの一番好きな言葉です。
自由自在
我々は生まれながらにして、そして完全に自由。
誰もが皆、幸せになる為に無限の努力をする自由を与えられている。
と、思うのです。
それでは(´∀`)
 
 
あ、そだそだ。
ツイッターを放置してたw
アカはそのまんまなので探し出してフォローしてくださいwww
フォロー返しますよw