裁判をしました ②

数週間後、倒れた父の住んでいた家を訪れました。

アタシの生家ですね。

家の中は独居老人の見本、世に言うゴミ屋敷の様相でした。

庭は相変わらずムダに広く、ガーデニングや土いじりの好きな父がきれいに管理していたことを窺わせます。

しかしながら、病院で症状の説明を聞くに「歩行は困難かもしれない」とのことで、帰宅はかなわないかもしれないことを示唆されておりました。

はっきり言って維持はできない。

なんなら庭の横を通る電車の線路に草が、木が伸びていったらどれだけ迷惑をかけてしまうんだろう?

これはもう、少なくとも樹木については伐採するしかないかな、というのが最初の直観です。

 

再度病院を訪れ、新たにさまざまな手続き等を進めてから覚悟を決めました。

父との面会。

実に20数年ぶり。

叶うなら二度と会いたくなかった人間です。

「コイツの顔を見るのが一番腹が立つ」

病院への面会がてら再会しに来た長男にかける第一声がコレです。

目の前の老人の意志とは別に、事務的に確認せねばならない事が色々とあります。

当人はすぐに退院してこれまでどおりの生活ができると思っていたようですが、それは難しいこと、これまで自宅でやっていた事の対処について話しました。

子供だったアタシとの延長線上での会話ということもありましたが、実務的な内容というよりは感情の面で思わしくない方向へ行く事がたびたびありました。

見かねた看護師の方に「息子さんが心配して来てるんやろ?!そんな言い方ないやんか」とたしなめられるとさすがにシュンとしていましたが。

少なからず話がこじれた事もあって、「もう会う事もないだろう」と妻と娘を病室に引き入れました。妻はもちろんこの時が初対面。

経緯はなんであれ、娘にとっては祖父。「おじいちゃん」と声をかけられると素直に挨拶していました。

なんなんだ、これ。母には一人も孫を抱かせてあげられなかった。妻も会わせられなかった。なのに、なぜこの男にここまでしてやらねばならんのだ。

存外おだやかなやり取りが続いたのちに、「アンタにも孫がおるんや」と告げても返事はありませんでした。