カクトー環境は炎上する

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音無クン、ゴルァ!!!!!
雨はもうじゅーぶんと思いませんか?
こんにちは、ちうべいです。

音無クンが大阪春の陣を企んでいるとか。
・・・。
あわてて電話したよ。
この野郎。
どうやらまたアタシをメタで襲う気のようだ・・・。
かかってこい!!!
しかも・・・、アタシの師匠に興味があるとか。
くっくっく・・・、ボコられたまへ!

彼には大概ボロクソに言ってきたが、こういうアクションはすげー嬉しいのです。
電車賃とゲセンのお金だけ持ってこい。歓待するぜ。
それと・・、カウンターストライクもやってみようぜ。面白いから!!アミパラで練習しときなさいw


さて、話を本題へ。
カクトーギとお金の話の続きです。
今から5年前、日本でサッカーW杯が行われましたわな。その時、格闘技マスコミ、関係者はため息を洩らし、呆然自失となります。それは・・・、「プロモーション」の大切さを思い知らされたからです。W杯が始まるまで誰も知らなかったベッカムだのカーンだの、アンジョンファンだのを誰でも知ってる状況になった。しかも、各選手の特技や優れたスキル、見所まで知ってる。これはものすごいことです。格闘技マスコミが何年かかっても一般層に浸透させる事ができなかった「個の魅力」「競技の魅力」を一瞬で伝えたからです。
K-1で地上波に乗せる事がいかに大きい影響力を持つかは知っていたはずでした。しかし、今回はそれどころではなかったのです。単位がもう、全く違う。猪木はK-1に携わるスッタフの多さに驚いたとされますが、それどころではないのです。

これだけを聞くと・・・、地上波を目指す、でいいんじゃん?て感じですが、それっばかりでもないのです。その辺を・・・。
「地上波で慣れきっていると、たかだかひとつの生中継等のために金を払うのがバカらしい。」なるほど、ひとつの真理でしょう。しかし、「棲み分け」を前提と考えることもできるのです。先だってのOZMAの件も多少かかってきますが、「見たい人しか見られない」は、言い換えれば「見たくない人は見る事が出来ない」状況でもあるのです。OZMAは確信犯なので、またちょっと違う話ですが。例えば、WWE。地上波でやっている訳ではありませんが、日本にも熱烈な支持者を多数持ちます。元プロレスラー議員馳浩自民党の大物、江藤に呼び出され緊張の面持ちで顔を出すと「今度WWEが来るんだってね。チケット取れる?」だったとか。一説にはビートたけしもWWEを見るためにCSに入ったとか。地上波で大々的なプロモーションをしなくてもいいものは売れていくのです。
確かに地上波に乗ればもっと売れるかもしれませんが、余計な批判が多くなるのも事実なのです。「ゴールデンでプロレスをやるなんて」「子供に見せられない」と。火を見るより明らかですわな。特に、「本音と建前」を分けたがる日本人には非常に向いているのではないかと。
昔のように巨人・大鵬・卵焼きの時代ではなく、より多様化されていく世界の中で、CSにおけるPPVは大きな可能性を秘めていると言えるのではないでしょうか。

あと、スポンサーシップの弊害、というものもあります。スポンサーが力を持ちすぎるとジャンルそのものが閉塞してしまったりするのです。簡単に言うと、ファンよりもスポンサー様の意見を重用するようになりがちです。
例えば、相撲取りは自分のファンよりも飯を食わせてくれる「タニマチ」の方により親近感を感じるでしょう。野球選手も、ファンよりはかわいがってくれている大企業のお偉いさんとかに親近感を覚えるのではないでしょうか?
こういう人達が上に出世したり業界を仕切るようになると、いつぞやの「プロ野球チームを減らして1リーグにしよう。」とか「選手ごときが」という発言になったりするのです。
PPVのいいところは、ファンの声を一番に聞かなければならないところです。
おかしな興行を一度でも打ったら次からもう収入がないのです。

さて、ファンのためにお金が分かり易く回る世界。どこまで伸びるのでしょうか?