裁判をしました まとめ

すみません。
こちらから書くべきでした。

簡単に流れを

 

1.20数年会ってなかった父が死にかけて入院

2.諸般の手続を代行する中で、病院から認知症の疑いが

3.父の身の回りの世話をしていたという伯母が登場

4.財産管理をしていた伯母から預金通帳や印鑑を預かる

5.一部こちらに渡されていない口座や金銭貸与が発覚

6.伯母に問い合わせると、所有権を主張

7.弁護士に相談

8.「成年後見人でないと法的措置、訴訟は不可能」との指導

9.成年後見の申請をし、晴れて成年後見人に

10.度重なる打ち合わせののちに、訴訟

11.複数回にわたる書面のやり取りを経て、判決

12.一部主張が認められる(勝訴

13.控訴される

14.弁護士の先生が遠方へ転居。別の弁護士に債権回収とともに控訴の対応も依頼

15.新たな証拠の提出等も無く、控訴は棄却

16.司法書士の先生に依頼して伯母の私有財産を差押

17.競売

18.落札され、代金が入金された new! ⇐

裁判をしました ②

数週間後、倒れた父の住んでいた家を訪れました。

アタシの生家ですね。

家の中は独居老人の見本、世に言うゴミ屋敷の様相でした。

庭は相変わらずムダに広く、ガーデニングや土いじりの好きな父がきれいに管理していたことを窺わせます。

しかしながら、病院で症状の説明を聞くに「歩行は困難かもしれない」とのことで、帰宅はかなわないかもしれないことを示唆されておりました。

はっきり言って維持はできない。

なんなら庭の横を通る電車の線路に草が、木が伸びていったらどれだけ迷惑をかけてしまうんだろう?

これはもう、少なくとも樹木については伐採するしかないかな、というのが最初の直観です。

 

再度病院を訪れ、新たにさまざまな手続き等を進めてから覚悟を決めました。

父との面会。

実に20数年ぶり。

叶うなら二度と会いたくなかった人間です。

「コイツの顔を見るのが一番腹が立つ」

病院への面会がてら再会しに来た長男にかける第一声がコレです。

目の前の老人の意志とは別に、事務的に確認せねばならない事が色々とあります。

当人はすぐに退院してこれまでどおりの生活ができると思っていたようですが、それは難しいこと、これまで自宅でやっていた事の対処について話しました。

子供だったアタシとの延長線上での会話ということもありましたが、実務的な内容というよりは感情の面で思わしくない方向へ行く事がたびたびありました。

見かねた看護師の方に「息子さんが心配して来てるんやろ?!そんな言い方ないやんか」とたしなめられるとさすがにシュンとしていましたが。

少なからず話がこじれた事もあって、「もう会う事もないだろう」と妻と娘を病室に引き入れました。妻はもちろんこの時が初対面。

経緯はなんであれ、娘にとっては祖父。「おじいちゃん」と声をかけられると素直に挨拶していました。

なんなんだ、これ。母には一人も孫を抱かせてあげられなかった。妻も会わせられなかった。なのに、なぜこの男にここまでしてやらねばならんのだ。

存外おだやかなやり取りが続いたのちに、「アンタにも孫がおるんや」と告げても返事はありませんでした。

裁判をしました ①

裁判をしました。

過去形ですので、もう終わっています。

事の起こりから終わりまでつらつらと・・・

 

裁判です。

今回は民事訴訟法に基づく裁判です。

民事です。

刑事事件化については後段にて。

そもそも何故裁判をしたのか。

ここから書いていきます。

 

今から5年前の1月の終わり頃。

日曜日の昼でした。

突然の電話。

それはアタシの通っていた小学校の先生からで、電話の内容としては「民生委員」からのものでした。

先生は民生委員として受け持つエリアには、独居老人であった父も住んでおりました。ゆえにに定期的に訪問していたのです。およそ月例だったはずです。

その報告を不定期ながらメールにて受けていましたので、大体の様子は知っていましたが、今回は直電。

この時点で一定の覚悟がありました。「健康等に大きな問題でもあるんだろうな」と。世間で言う最悪の事態、という事も考えられます。

先生「お父さん、今から救急車で病院行くから!病院来れる?」

アタシ「行きます。」

その場に居た妻と娘に簡単に説明して車で病院へ。

現場に着くと、先生と介護職の方、病院の方がいらして代わる代わる説明を受けました。

どうやら命に別状がないことだけは分かります。

「長男が来た」ということで、いろんな書類にサインしていきますが、中には入院に際して医療費を保証する旨の書類も。

父の財布がどこにあるかも知りませんが、他人に迷惑はかけられない。

淡々と進めます。妻にも負担が及びかねない内容です。一生頭が上がりません。

どうやら意識はあるようですし、面会も許されておりましたが会わずに帰りました。

別にその身を案じた訳でも、顔を見たかった訳でもありませんでしたので。

病院の方に「病院に来るだけでも偉い。知らんと拒絶される事も少なくない。奥さんも来るなんて奥さんとても偉い」と。よく分かりませんが、妻が褒められると嬉しいですね。

その日は結局最低限必要な処理だけして帰りました。

他の面倒な事等は後日、として。

 

父は、死にかけました。

独居老人が家の中で転倒し、何日間も動けず衰弱して死ぬ寸前だったとか。

入院前日、定期巡回で訪れた民生委員の先生が呼び鈴を押しても出て来ず、家の奥から声がするだけ。「大丈夫や~」と。

それを訝しく思った先生は翌日、もう一度介護職の方(ナントカ包括)と訪れて家に入って行くと、起き上がる事もできない年寄を発見したとか。

ロレツは周るが、発言内容が意味不明だったようで救急車を要請。

その過程でアタシに御連絡いただいたのでした。

低体温症で、体温は30℃を下回り、凍傷も患っていたとか。

先生が「まぁいいか」と引き下がっていたらそのまま死んでいたことでしょう。

まさに命の恩人です。

格闘技やめました

チョコレートとキャラメルが戦争したら、「このコウモリ野郎!」とののしられることうけあい。

タケノコ泥棒を見たことありますか?

愛のソースがけ、ちうべいです。

 

「リュックに小さなクワを入れて竹林に入っていく」そうです。

捕まったら私刑されるんかね?

 

さて、つれづれなるままに。

 

格闘技やめました。

20年在籍した道場を5月いっぱいで退会致しました。

道場長以下、御指導いただいたコーチ陣の皆様に、一緒に練習してくれた会員さん達に、ただひたすらに感謝。

何より最後の2年間、練習に行かせてくれた妻に多謝感謝。

もう言葉のとおり、感謝しかありません。

ありがとうございました。

 

以下、リリカルにポエ散らかしますので、感傷的なオッさんの独白に興味のない方は読み飛ばしてください。

 

 

 

永い間、誰かにずっと夢を語り続けていたような想いです。

20年前に入会した時の目標は「一生続ける」、「子供の前で試合する」の二つでした。

そのどちらも叶いませんでしたし、悔いが無いかと言えばうそになりますが納得はしています。

そもそも、道場からかなり離れた場所に家を買った時点で一つ目の目標は潰えました。家事育児で迷惑をかけますので、「最長でも1年」と妻に懇願しての復帰。

もう一つの目標について、「体が練習にギリギリ耐えられて、娘が見て意味が分かるギリギリのこのタイミングしかない」と取り組み、試合出場をトッププロのコーチに打診させていただきましたが、「ケガします」との見極め。これは100%信じて、出場を見送るしかありません。万事休す。

試合出場はなりませんでした。

 

結論から言うと向いていなかったという事になります。勝負事や、人と競い合う事に関心がないアタシにはそもそも無理があったのかもしれません。

打撃の練習でも「恨みも無いこの人を殴れない・・・」とか関節極めて一本取った時も「ケガしなかっただろうか」と心配になるのですから。

この点は妻からの指摘もあり、夫婦で共通しているとお互い認識しております。

年齢は言い訳になりません。アタシより年上でアタシより強い人達がいるわけですから。

 

そもそもスポ根でもなく、人に勝つ事に熱心でないアタシですが、それでもスパーリングして汗だくでひっくり返って天井を見ている時は幸せでした。ボコボコにされ、極められまくるばかりでしたが、幸せでした。ましてや一本取ったり、褒められた時など。

 

「胸を借りる」に申し分ない方達にひたすらくらいつく事しかできませんでしたが、敗れて悔い無し。たくさんのアドバイスもいただき、導いてくださいましたが、一本取る事は適わず、恩返しはなりませんでした。無念。

最後の頃は道場長とスパーリングできたりと、豪華すぎるボーナストラックがあったのも付け加えておきます。(道場長は道場開き以来、一般の会員とスパーリングする事は無かったようです)

また、これ以上ないくらいに練習に行かせてくれた妻に一生返しきれないほどの感謝。

最後の練習の日も、挨拶をしたい人にはひととおり挨拶できて幸運でした。もちろんあの人にもこの人にも、と言い出すとキリが無いのですが。この1年、神様(≒妻?)がくれた幸せを噛み締める時間でもありました。

 

世界一劇場。アタシは果報者です。人生最高の体験でした。

 

まだ老け込む歳でもないですが、これからは御朱印集めとヅカにわかとして生きていきます。

改めて、ありがとうございました。

ロシアリクガメのカーラがいなくなりました 心情など

大変つらく悲しく、苦しい想いをしております。

それだけに、一番大変なのはカーラである事を思えばそれすら許されないように思います。

自分でもこういう心境になると思っておりませんでした。

ペット飼育に際し、生き物をコレクターズアイテムのように扱う人を内心軽蔑しながらも、自分自身がそこまで感情移入できているのか、自らを訝しく思っておりました。

ところが実際にいなくなってしまうと、動揺が治まりません。

以前は茂みや草むらを見かけたら「こういう空間にリクガメを放したら・・・」などと夢想したものですが、今ではそのような些細なトリガーでカーラを思い出します。

亡骸も見届けてないうちには、これは続くのでしょう。

私のやったことは「パチンコの間、車に残した子供を死なせてしまうバカ親」と変わりません。

マハが生きてなければ立ち尽くしていたことでしょう。

SNSに散見される「あなたに飼う資格はありません」等の言葉が心を駆け巡ります。

ポエ散らかしたところで意味が無い事は承知しているつもりですが、なにがしかの形で書かずにいられませんでした。

忘れることを許されず、自分を許すこともできず、いい歳してこのような形で命をしょい込むことになりました。

ロシアリクガメ カーラがいなくなりました 事実の記載

ペットのロシアリクガメ、カーラがいなくなりました。

時系列で追います。

 

昨週土曜日、日中に裏庭に放しました。

翌朝日曜日、いなくなっていました。一緒に庭に出していたロシアリクガメのマハは無事でした。

わずか2畳未満の裏庭ながら、今までにも何度となく姿をくらましました。その多くは地中に潜る、というもので、最終的には掘り起こすなりして発見しておりました。また、裏庭の囲いを乗り越えて外に飛び出すようなことはありませんでした。

しかしながら、今回はどこを掘っても出ない。現れない。日が落ちてもその姿はありませんでした。夜のうちに地元警察の本局に遺失物の問合せをしましたが、リクガメの登録は無いとのこと。

翌日から、毎朝毎晩、仕事の前後に探しましたがその姿を見せず。なんとか時間を作って水曜日の夜、最寄りの交番にて遺失物届をしました。お仕事の手を止めてまでご対応下さった警察官の皆さんには感謝しかありません。

いなくなった原因は二つ考えられます。脱走と野生動物による連れ去りです。

前者については、囲いの高さや材質的に完璧ではありませんでしたので、可能性が無くはありません。より活発なマハは何度も壁を乗り越える事に失敗しておりましたし、体力的にも及ばないカーラには可能性が低いように思います。

後者については、上部に張ったネットの隙間から侵入し、カーラを連れ去った事が考えられます。現場で食べられてしまった形跡はありませんでした。動物の種類として猫は考えられません。多くの外猫がいますが、およそ全て飼い猫です。猫はよほどひもじい思いをしないと襲うと思えず、うちの猫も興味深く匂いを嗅ぎに来ることはあってもついぞや手は出していません。イタチは数少ないながら、考えられます。しかし、カーラはイタチの口に咥えて連れ去ることのできる大きさではありません。最後に、タヌキです。これは以前から裏山に生息する事を目撃しておりました。しかしながら、それは見すぼらしい痩せタヌキで、滅多に見かけるものではありませんでした。ところが捜索初日に近隣宅の庭で実に数年ぶりに見かけました。それは以前見かけた見すぼらしい姿ではなく、毛並みもよく燃えるような赤みがかったタヌキで、私と目が合うと悠然と去っていきました。

悪い予感が募りましたが、決め手はありません。

遺体も見つからぬ今、カーラは死んだものとも割り切れず、探し続けることになります。

何より、マハは健在です。

彼を飼育することを続けねばなりません。

リクガメと生きていくことそのもは変わりません。

今後も裏庭には放します。そのために設備を増強し、脱走・連れ去りの両面をブロックします。